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食の安全が叫ばれ、ますます信頼性の高い食材が求められる現在。シーアグジャパンは「安全で安心な食材をお届けし、消費者の健康的な食生活に貢献する」ことを企業理念として事業を展開しています。私たちが取り組んでいる安全・安心な食品の生産・流通は、皆様の健康的な生活を支えるばかりでなく、自然環境保全にも必要不可欠なことであり、生産から消費にいたるまで「人・社会・自然の循環を健康的に」保つための基本と考えています。
私たちは、本土最南端に位置する鹿児島県大隅半島に拠点を置き、第一次産業に積極的に取り組んでおり、事業展開の一つの核としてハマグリ養殖の安定供給を整えています。 もう一つの核は「安心・安全な食材をお届けする」という理念を共有する生産者と契約し、鹿児島の農水畜産物を全国の卸業・小売業・消費者にお届けする「卸販売事業」です。
私たちは今後とも原点である企業理念に基づき、第一次産業に特化した取り組みで、地域活性化に貢献する企業を目指します。さらに日本中の皆様との出会いを大切にし「多逢勝因」をモットーとしながら、社業発展に努力してまいります。
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株式会社シーアグジャパン
代表取締役 肥後 隆志
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鹿児島県大隅半島の南端に位置する本土最南端「南大隅町」を拠点とする、当社の前進である「肥後商会」は、明治時代初めより木炭・木材・米などを生産販売し生計を立てて参りました。
その頃の日本の食料自給率は高く、当地は勿論のこと、国内の各地方は食料生産基地として潤っていましたが、ここ数十年の間に外国から安い食料がふんだんに輸入されることによる農業経営の圧迫、そして国内での工業化による地方の就労人口の減少や農家の収入減などによって過疎化が進み、地方は疲弊する一方です。
当地(南大隅町)は、農家の平均年齢が約70歳、高齢化率は鹿児島県一(2007年度・新聞発表)であり、今後もこの地位は維持されそうで、近い将来「誰も住んでいない集落」が出てくることは間違いないと考えております。
このような状況の中、当社は「ど田舎の振興には一次産業」しかないと考え、22年前から農業経営に参入し、10年ほど前から養殖業に携わっております。
同時に鹿児島県内各地の農家などと契約し、農産物や魚介類の一次産品の販売を全国各地に積極的に展開しております。
このことが「一産業従事者」の方々の所得向上にもつながり、ひいては地方の活性化にも繋がるのではないかと考えておりますので、今後もこの信念の下、農業・漁業活性化のため、また、「ど田舎」の振興の為にも積極果敢に取り組んで参ります。
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■会社概要
| 社名 |
株式会社シーアグジャパン |
| 本社 |
〒893−2501 鹿児島県肝属郡南大隅町根占川北3912 |
| 代表 |
代表取締役 肥後隆志 |
| 設立 |
平成9年3月28日 |
| 資本金 |
1億1,200万円 |
| 事業内容 |
@農水畜産物の卸販売 A二枚貝(ハマグリ・アサリ・シジミ等)の養殖 |
| 認定 |
中小企業創造活動促進法認定企業 |
| 所属団体 |
南大隅町商工会 鹿児島県中小企業家同友会 鹿児島県工業クラブ |
| 取引銀行 |
鹿児島銀行根占支店 |
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■関連会社
| 有限会社肥後商会 |
創業明治10年。ガソリンスタンド、プロパンガスなどの燃料販売、旅館業、不動産賃貸業などの事業を展開。
所在地:鹿児島県南大隅町根占川南3706
※ビジネスホテルホテルオルビス WEB:
TEL 0994−24−2115 FAX 0994−24−3212 |
| 農事組合法人ねじめ農園 |
青ネギ生産量で県下ナンバー1の実績。ジャガイモ、サツマイモなども生産。
所在地:鹿児島県南大隅町根占川北3912
WEB TEL 0994−24−3698 FAX 0994−24−5397 |
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■沿革
| 関連法人(肥後商会・ねじめ農園)沿革 |
年度 |
シーアグジャパン沿革 |
| 肥後商会創業 |
1877年 |
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| 渠後商会:社長に肥後隆志が就任 |
1976年 |
| 渠後商会:ガソリンスタンド肥後石油を新設 |
1977年 |
| 渠後商会:ビジネスホテルオルビスをオープン |
1981年 |
渠後商会:青果部を設立
契約農家の農産物販売を開始 |
1987年 |
農事組合法人ねじめ農園設立 青ネギの生産開始
代表取締役に肥後隆志 資本金200万円 |
1990年 |
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1995年 |
ハマグリ養殖施設視察の為渡米 |
| 1995年 |
ハマグリの陸上養殖実証プラントを根占町に建設
(世界初の実用化) |
| 1997年 |
潟Vーアグジャパン設立
代表取締役に肥後隆志 資本金2,300万円 |
| 1997年 |
鹿児島県指宿郡頴娃(えい)町の「えい二枚貝栽培センター」に技術供与、協同開発開始 |
| 2000年 |
資本金を9,900万円に増資 |
| 2001年 |
国産ハマグリの人工孵化と稚貝量産に日本で初めて成功 |
| 2004年 |
資本金を1億1,200万円に増資 |
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[サツマイモ伝来と河野覚兵衛]
遡ること300年前、島津蕃の御用商人だった山川村(薩摩半島南端)の豪商「河野覚兵衛」の船団は、関西方面から北陸、そして奄美大島、沖縄などと交易し、「海の水は無くなっても河野家の宝はなくならない」と言われるくらい栄華を極めていました。
日本に初めて「サツマイモ(=鹿児島弁でカライモ)」を伝えたのは、「覚兵衛」の飯炊き水夫だった「利右衛門(りえもん)」であり、指宿市(旧山川町)にある「からいも神社」は7代目の「覚兵衛」が建立したものです。
この「河野覚兵衛」のDNAを継承しているのが肥後家であり、シーアグジャパンです。
※「河野覚兵衛」の屋敷や墓石群は、指宿市の有形文化財に指定されています。
[西南戦争と肥後左近丞]
明治10年(1877年)、旧根占村(ねじめむら=現南大隅町)に狩猟に来ていた西郷隆盛一行は、私学校の生徒たちが「鹿児島市内にある政府直轄の火薬庫を爆破した」という一報を耳にしました。そのとき、西郷隆盛は「これはチョッシモタ(これはしまった)」という言葉を吐き、すぐさま地元に住んでいた島津蕃の下級武士3名を引き連れて鹿児島市内に向かいました。これが鹿児島氏族の反乱として歴史にきざまれた「西南戦争」の始まりでした。
その時西郷隆盛と同行し、共に戦った根占(ねじめ)の武士の一人が「肥後左近丞」と言い、その末裔が「肥後隆志」にあたります。
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